宗教について思う 30 寓話 『神の似姿(イマーゴ・デイ)』 白鳥静香著
天国のある神殿に
それは美しい神様のお像がありました。
その神様のお像は大きな透き通る水晶でつくられていました。
なぜ水晶でつくられていたかというと、
水晶なら、
神様がこられたとき、
神様の光が透き通ってキラキラと輝くだろうからです。
実際、
神様がおいでになると、
そのお像は神様の光でキラキラと輝き、
とても美しかったのです。
ところが、
いつものように、
天使たちがそのお像にお花やお水をさしあげていると、
ひとりの子どもの天使がうっかりお像を倒してしまったのです。
お像は床にぶつかって見事にバラバラに砕けてしまいました。
天使たちが困っておろおろしていると、
神様がいらっしゃって、
笑いながら、
「かけらを集めておいで」
とおっしゃいました。
天使たちが泣きながらかけらを集めると、
神様はふっと息をふきかけました。
そして、
「一日待っておいで、もとに戻っているから。」
とおっしゃると。
またどこかへおでかけになってゆきました。
これは私が夜中に見た夢のなかの
ひとつのおはなしでしかありませんが、
私にはなんとなくこのおはなしがただの夢だとは思えないのです。
私たちは、
いえ世界のすべての存在とは、
それぞれ、
この砕けた神様のお像のひとかけらひとかけらなのではないか?
私たちが愛というものをなんとなく尊いものだと思うのも、
世界中の様々な教えで人を愛することが真理だといわれているのも、
そして
愛がないと寂しいと感じるのも、
砕けてしまった像のひとかけらひとかけらが
神様の魔法の力で
もとのお像の形に戻ろうとしているからなのではないだらうか?
そのように思えてならないのです。
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