宗教について思う 42 『宗教と自由』 白鳥静香著

宗教について思う 42 『宗教と自由』

近代の哲学や政治思想において、

宗教は人間の自由を奪うものとされてきました。

確かに宗教は歴史的に、

既存の権力や既存の社会秩序の維持という現世的な役割を担ってきたという経緯があるので

そのような考え方も必要であったと思います。

(また、個々の宗教団体や個々の教会には、

信者の管理のために個人の自由を抑圧する傾向があることもまた真実であると思います。)

しかし、

私には、

また一面、

宗教がなくては人間は自由にはなれないという側面もまた

あるように思えるのです。

なぜなら、

宗教がないなら、

私たちの存在は偶然に生まれたものとなります。

私たちがそのような寄る辺ない(不確かな)存在であるなら、

私たちの存在を肯定してくれるのは、

人間、

そして今ある目の前の人間社会しかありません。

私たちの存在を肯定してくれるものが人間社会しかなく、

私たちが、

人間社会に捨てられたくないなら、

既存の人間社会に捨てられないよう、

自分の意見を社会の意見に合わせざるを得なくなる。

つまり、

人から捨てられたくないなら、

自分の意見を捨てて社会の意見に自分を合わせなくてはならなくなるからです。

意見を人に合わせなくてはならないところに自由はありません。

自由とは、

何よりもまず第一に思想の自由であるからです。

対して、

自分の心に何らかの宗教があるとき、

私たちの存在は人間や人間社会と関係なく、

何か人間より大いなるものに

愛され、

絶対的に肯定されている。

たとえ全人類に憎まれ、全人類に否定されたとしてもです。

その肯定は誰にも奪えないものです。

信仰とは、

神の自分への愛を絶対的に信頼することだからです。

もっというなら、

信仰とは存在の絶対的な肯定だからです。

(アメリカの神学者パウル・ティリッヒの信仰観はこれに近いものだと思います。)

人間が、

いえ個人が自由であるためには、

他者や社会の否定に折れない心の強さが不可欠です。

人間社会という、

大きく、

非常に強力な、

そして、

ときに非常に狂暴なものの前で、

個人が自由でいるための心の強さを支えてくれる最後のものとして、

人類には、

現在のところ、

宗教以外の道具があるようには思えないのです。

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