宗教について思う 44 『宗教の愛、芸術の愛』 白鳥静香著
宗教について思う 44 『宗教の愛、芸術の愛』
宗教は愛を説きます。
歴史上、
宗教が多くの残酷な問題を起こしながら、
まだ、
宗教に、
それはどこかよいものであるというイメージも残っているのは、
(もちろん宗教だけが残酷な問題を起こしたわけではなく、
政治であろうが経済であろうが人間が関わる全てが残酷な問題を起こしてはいますが。
どの分野であれ、
人類の歴史は有限な財を奪い合う歴史であったからです。)
歴史上、
宗教が多くの残酷な問題を起こしながら、
まだ宗教によいものであるというイメージも残っているのは、
宗教が愛を説き許しを説いているから、
そして、
ごくまれに、
本当にそれを実践するような聖者のような人がいるからではないでしょうか?
宗教は愛を説き、許しを説きます。
では、
人類の文化のなかで、
宗教が最も深い愛を示したものなのか?
というなら、
私は案外違うかもしれないと思います。
たとえば、
映画には、
事件も必要だし、悪人もまた必要となります。
(逆に、何の事件もない、誰も悪い人が出てこない、
何の問題もない善人だけが出てきて順風満帆に幸せになるだけの映画を私たちは見にゆくでしょうか?)
そのような事件もあり、
嫌な人や悪人も登場しながら、
最後にこの作品を見てよかったと思わせてくれるのが
映画の面白さではないでしょうか?
つまり芸術においては、
事件も必要だし、
嫌な人や悪人も必要となります。
むしろ、
芸術においては、
積極的に、
そのような事件が起きたり、
そのような人が存在していてくれなくては困るのです。
対して、
宗教は確かに許しを説きますが、
その許しは仕方なく、
どちらかというなら、
愛することや許すことが戒律なので、
嫌々努力して無理やり許そうとする。
本音でいうなら、
本当は許せないのに許さなくてはならないのがつらいという人も
宗教を信じている人のなかには案外多いのではないでしょうか?
宗教を信じている人のなかに、
そのような、
「本当は許せないのに」
という気持ちが見え隠れしていたということを
私自身も見たことがあります。
そのように考えてくると、
芸術には宗教より深い愛がある。
ともいえるのではないでしょうか?
嫌々許すより、
その人がいることが絶対に必要であるということの方が
深い愛であると感じるのは私だけではないはずです。
宗教が愛や許しを説きながら、
芸術ほど愛を発揮できないことがあるのは、
(もちろんすべての人がそうであるわけではなく、
宗教にも本当に深い愛を発揮する人もいると思いますが)
宗教が人間の心の救いのことだけではなく、
現実の社会の管理や
秩序維持の役割を担ってきたからではないでしょうか?
社会の管理や社会秩序の維持を考えるなら、
その社会が目的をすることにあわせて、
善と悪とを設定し、
その社会が悪人と考える人を排除してゆかなくてはならないからです。
つまり人を裁かなくてはならないからです。
歴史的に宗教の役割の中心は、
この、
その社会の目的にあわせて善悪を設定して、
人を裁く、
というところにあったのではないでしょうか?
宗教がそのような役割を担っていたのは、
古代や中世という時代は、
まだ食料生産が少なく、
人類の職業が分化していなかったからであるだろうと思います。
対して芸術は
宗教より早くから、
社会の管理や社会秩序の維持という役割から解放されはじめていたのではないでしょうか?
(古代や中世の建築などを見ればわかるように、
もともとは芸術もまた社会の管理や社会秩序の維持という役割を担っていたのだと思いますが。)
食料生産が不充分で、
職業が分化しておらず、
人々に教育も行き渡っていなかった昔とは違い、
食料生産が充分となり、
職業が充分に分化し、
人々に教育の行き渡った現在、
宗教はかつての、
社会の管理や社会秩序の維持という社会的役割を失っています。
(職業が分化した今、社会の管理は政治や行政、
社会秩序の維持は司法や教育、マスメディアなどが充分担っているでしょう。)
その結果、
宗教は社会的求心力を失ってしまいました。
20世紀は宗教大国であったアメリカでも、
2020年以降急激に教会へ通う人が減っているそうです。
では、
宗教が社会的役割を失ったことは、
宗教にとって悪いことしかないのか?
というなら、
私にはそれは必ずしも悪いことばかりではないように思えるのです。
逆に、
そのことは
宗教にとって、
一面、ひとつの大きなアドバンテージともなるものではないかなとも思うのです。
宗教が、
社会の管理や社会秩序の維持、
つまり、
その社会の目的に合わせて善悪を設定し、
そのものさしにあわせて人を裁いてゆくという
役割から解放されて、
私たちにより深い愛や許しを示すことができるようになったという
アドバンテージです。
場合によっては、
宗教は芸術より深い愛(私たちの心の救い)を示すことができるように
なるかもしれません。
宗教が社会的役割を失ったことは、
実は、
宗教が社会的役割から解放された、
東洋的にいうなら、
宗教そのものが物質的な世界(東洋では欲界といいます)から解脱した
ということであるのかもしれません。
ひとつのビンチはまた、ひとつのチャンスでもあるのですから。
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